真っ赤な太陽が沈みはじめる頃、
農道を息を切らしながら走る
あどけない一人の少年が、
ついさっきまで遊んでいた
幼馴染みの家へ
忘れ物を取りに行く途中に
起こった出来事だった。
そこら中に降るように鳴く蝉の声、
じっとりと湿っている空気によって
ただ突っ立っているだけで流れ出る一筋の汗。
そんな自然に恵まれた片田舎で、
「バっーーーーーーーン」
銃声が鳴り響いた。
【1章】「2度も発砲」エアーガンで〇〇した破天荒なヤンチャ坊主
↑ 今ココ!! ↑
【2章】「たった一つ」の夢を失った中学生時代の発情がまん大会
【3章】恋愛に部活に青春!なんて幻想は一切ない!ガタガタと崩れる人生の歯車
【4章】晴れやかな卒業!?惨めさの渦中で決断した「一つの選択」
【5章】心機一転のインストラクター養成校!?崩壊の4重奏が響き渡る!
【6章】人生の分かれ目!クビ宣告されたダメ先輩を反面教師にした派遣社員時代
【7章】2度目の専門学校!「1つの出来事」が止まった歯車を動かした!
8章 作成中
目次
ガンガンに熱しているストーブに手をつっこむ
小学校に入る前の頃の
記憶はほとんどないのだが、
自分でもビックリするような記憶がある。
今は亡き父親に
オムツ交換をしてもらっていた。
おそらく3歳ぐらい。
そして、うんちだった。
周りの光景も覚えている。
昔のテレビはリモコンがなくて
テレビ画面横のダイアルを回して
チャンネルを変える。
ほんとに懐かしい。
4歳ぐらいの頃、
冬に灯油ヒーターつけていた。
灯油ヒーターがボーッという音を
出しながら動いている。
それを見ながら、
ふとあることを疑問に思った。
でているところに、
てをつっこんだら
どうなるんだろう・・・・?
さすがは4歳児の発想だ。
ものすごい好奇心の塊だと思う。
そして、ただ思っただけでは止まらず、
直後に熱風の吹き出し口に
両手をつっこんでしまった!!
小さな小さな手が隠れるほど
奥まで突っ込んだ。
かの有名な野口英世を
思わせる出来事だった。
我が子の震え上がる絶叫を聞きつけ、
となりのキッチンで
夕飯の準備をしていた両親は
僕のいる部屋に飛び込んできた。
泣きじゃくった僕を抱え、
そのまま車で15分ぐらいの総合病院で
救急受診した。
幸い大きな火傷にはならなかったが、
両手ともに親指と人差し指のあいだに
少し皮フが溶けたかのような
軽い火傷をおった。
両手に塗り薬を塗って
包帯をぐるぐる巻いて数週間
大人になった
今では何事もなかったように
完治している。
破天荒な幼なじみとの出会い
4歳ぐらいから近所の幼なじみBくんと
よく遊ぶようになった。
このBくんは、
僕がこれまでにあった中で
最高の好奇心を持った男だ。
いまだにこの男以上の人間は会ったがない。
B君はいつもクラスの人気者だった。
小学生時代はいつもBくんといた。
一緒に数々の破天荒なことをしていた。
しかし、出会いは険悪なものだった。
初めてチャリに
乗れるようになった頃、
なんとなく近所をチャリでこいでいた。
そのとき、Bくんの家の前を通った。
それが初めての出会いだ。
なんといきなり文句を言ってきた。
お互いケンカ腰である。
なんとかその場はチャリで
通り過ぎているあいだの時間だけで
口げんかが終わった。
後日、またそのBくんとあった。
さすがは4歳児。
すぐに意気投合してめちゃくちゃ仲良くなった。
それからは好奇心旺盛な僕に
さらに好奇心旺盛なBくんが
加わるようになった。
鬼に金棒とはこのことを言うんだろう。
これが破天荒な二人の物語の幕開けとなった。
学校帰りはいつも一緒。
お互いの家が見えるぐらい近い。
帰ってからはランドセルを置いて、
すぐにBくんちに遊びに行った。
ある時、家に帰らずに
まっすぐBくんちに遊びに
行ったことがある。
夕方になり家に帰ったら、
なんとビックリ!
家のカギが閉まっていた。
父親が怒ってカギを閉めていた。
玄関前にいると
父親が鬼のような形相でやってきて
「出て行け!」
といわれ玄関から
100メートルぐらい離れた
道路沿いにあった
丸太に1時間ぐらい
座っていたこともあった。
雑草を食べ歩く小学1年生
夏休みにいつものようにBくんと
外で遊んでいた時に事件は起きた。
Bくんがパンに塗って食べるチョコレートを
持って食べ歩いていた。
(「どうしたの?それ」)
(「これ、おいしいんだよ!」)
と、答えてきた。
おいしいのは僕でも知ってるから!!
僕もチョコレートが好きだから!!
と内心思っていた。
「なんでもってんの?」
って聞いたんだけどなー・・・
そして、Bくんはチョコレートを
食べさせてくれた。
美味しかった。
本当に美味しかった。
柔らかいチョコを初めて食べた。
って思ってました。
それから数日間、
二人で毎日そのチョコレートを
買いに行っては食べた。
二人だけのブームになった。
ある時、Bくんが言った。
(このチョコ、葉っぱにつければおいしいんじゃない??)
内心、死ぬんじゃないかと思っていた。
しかし、Bくんは
そこらへんにある雑草をもぎとり、
ゴミを払うかのように
「フー!フー!」
と、息を吹きかけ、
チョコをべっとりつけて
食べたのである!!
次の瞬間、
「うめえええええええ!! うめえがらくってみれって!」
(「うめえええええええ!! おいしいから食べてみなよ!」)
・・
・・・
・・・・
(「ほんとうに!?そんなにおいしいの?」)
そう言いながら、
初めて雑草にチョコをつけて
食べてみた。
なんとビックリ!!!
本当においしかった!!
そして、勢いづいた二人は
誰が踏んで歩いたかもわからない場所にある
いろんな雑草をもぎ取っては
チョコをつけて食べまくった。
最後にはそこら中に生えまくっている
三つ葉をたくさん食べたのである。
その日を境にチョコレートブームは
過ぎ去った。
極寒の銀世界!吹雪の中に丸はだかではしゃぐ
相変わらずBくんは奇想天外な発想をする。
それには僕も舌を巻いた。
東北の雪国は
毎年雪が信じられないぐらい積もる。
「毎年のことだから慣れるでしょ?」
と思われるが、
それでも毎年雪には
やられている。
そんな真冬にいつものように
Bくんちで遊んでいるとき、
Bくんがものすごいことを
言い放った。
(はだかになって外に出ようよ!)
そとは真冬。
まさに一面、銀世界とは
このことを言うのだと思う。
雪のきれいな結晶が
積もりまくっているのである。
そこにまっぱだかになって
外に行こうと言っている。
さすがは好奇心旺盛な少年たちだ。
その直後、二人はまっぱだかになって
外を走り回っていた。
そんなことをいいながら
二人でゲラゲラしながら走りまわった。
もう足は枯れ木のように棒になり、
出荷前に並んでいる冷凍マグロのように
冷え切っていた。
担任を教育委員会送りしてしまった小学2年
僕の学年は児童の人数が
微妙だったため、
1クラスだったり2クラスだったり
と年度内にクラス分けをすることがあった。
1クラスになるということは
隣の教室が空くことを意味している。
休み時間には空いている教室を
広場代わりにあそんでいた。
まだまだ純粋な小学2年生の男児達は
何を思ったのか、
授業中にソーっと自分の席から
抜け出して
となりの教室で遊んでいた。
時には10人ぐらいで
遊んでいたこともある。
いわゆる授業崩壊だった。
ちょくちょく担任と女子生徒たちが
怒りながら迎えにきた。
授業中に気付いた時には
ポツッポツッと、
空席が増えていってる。
雨後のたけのこの逆バージョン。
想像するだけでかなり面白い光景だ。
「悪ガキと呼ばれるようなことしてたんだなー・・・」
としみじみ感じてしまった・・・
そして、ついに学校中を揺るがす事件が起きた。
2時間目の後の休み時間は
少し長めになっていた。
いつもの悪ガキ軍団は
外の校庭にある大きなすべり台で遊んでいた。
(当然のように、その軍団の中に僕はいた)
授業の始まるチャイムが鳴り響く。
さすがは悪ガキ軍団、
誰も教室に帰らない・・・
担任と女子軍団が怒りながら迎えにきた。
しかし、悪ガキ軍団は教室に帰らない。
(今思うとすごいことをしていた、、、笑)
担任と女子軍団は
とか言いながら、戻っていった。
そこに悪ガキは5人集結したまま。
軍団は会議を始めた。
「どうする?教室もどる?」
「えー、めんどくさくねー」
「Cくんの家行こうよ!」
「Cくんちに行くの?遠いよ」
「別にいいんじゃない」
「行こう!行こう!」
そして、悪ガキ軍団5人は何を思ったのか、
教室には帰らず、
勇ましくもCくんの家に向かった。
しかも、Cくんの家に向かう道は
下校で使う道と違う
田んぼの間や裏道といった
普通の道ではないところを通っていった。
まさに目を輝かせる少年達にとっては
興味がそそりまくる冒険の旅になった。
しかし、冒険には障害がつきもの。
なんと悪ガキ軍団5人のうちの2人が
「学校に帰ろう」
と言い出した。
歩いている途中に無性に
不安になったんだろう。
残りの3人は
帰る意味がわからなかった。
(当然、その3人の中に僕はいる)
「じゃあ、帰ればいいんじゃね。オレらはどうする?」
「いや、Cくんちいぐべ!」
(「いや、Cくんちいくでしょ!」)
2人脱落して
悪ガキ軍団は3人になった。
残った3人はさらなる冒険を突き進んだ。
途中、トラブルが発生した。
田んぼの間に土でできている
小さな小川がある。
僕は長くつを履いていたので
その泥の小川を少しだけ歩いてみた。
なんと!ドロの中に足がはまってしまい
長くつが脱げてしまった。
脱げた長くつはどこにいったか
わからなくなってしまったのである。
靴下のままで冒険を楽しみながら
目的地のCくんの家についた。
1時間は歩いた。
着いたときは昼ぐらいだったので
おなかがすいていた。
Cくんの家は馬や牛、ニワトリなどを
飼っている家畜農家。
家の中にはCくんのおばあちゃんがいた。
とても優しくて明るく、
人を信用しやすいおばあちゃんだった(笑)
おばあちゃんには、
「学校が早く終わった」
「ランドセル忘れて来た」
「おなかすいた」
というようなことを言って、
3人で隠し通したとニヤニヤしながら
お茶漬けを食べさせてもらった。
初めてしぼりたての
まったりとした濃厚な牛乳を飲んだ。
ご飯を食べて、
遊んでいたらCくんの家に
校長先生から電話が来た。
(そりゃそうだ・・・。ちなみに途中で帰った2人がチクったらしい)
それから30分ぐらいした頃、
校長先生が迎えにきた。
悪ガキ軍団3人は
校長先生の車に乗って、
おばあちゃんを背に
小学校へと帰っていった。
母親が呼ばれ、
人生で初めて校長室に入った。
校長室はなかなか
馴染めない空間だった。
ものすごく怒られた記憶はない。
それから数日後、
僕のクラスに副担任がつき、
先生が2人体制になった。
それからは授業中に抜け出して
となりの教室で遊ぶことはなくなった。
この事件が引き金となって
担任は教育委員会へと送られた。
少年の純粋で無垢な心とはいえ、
ものすごく酷いことをしてしまったと
つくづく思う。
父親が腎ガンで亡くなりました
僕が問題を起こしていたほんの数ヶ月後、
父親はガンで亡くなった。
父親が余命宣告を受けていたなんて
全く知るよしもなかった。
ただ入院していることは知っていた。
お見舞いに行っていたからだ。
行ったのは時々だった。
でも、まさか死ぬとは思ってなかった。
亡くなる前は
ほとんどお見舞いに
行った記憶がない。
父親が亡くなった日のことを思い出す。
学校の授業中に
職員室の方がなんだか騒がしかった。
と思っていたら、
いきなり職員室にいた
たまに見る先生がやって来て
僕が呼ばれた。
見慣れた近所の人が
玄関に立っていた。
ほんの少し時間が経ったら
2歳上の姉も騒々しく
玄関にやってきた。
ほどなくして姉と一緒に
近所の人から病院へ連れていかれた。
この時、初めて父親が死にそうだということを知った。
家族の中で
小学2年生の僕にだけ
伝えていなかった
ということを後から知った。
入院中の危篤状態の父親を見た。
僕が小さい頃から
ジャレあった父親の姿はなく、
目と顔と胸と腹が
黄色くなっていて
全身が見るからに痩せていた。
でも、お腹だけがポコっと膨れていた。
まるで別人のようだった・・・
その場にいる家族、親戚は
みんな暗い顔をして
泣きじゃくっていた。
何を思ったのか、
僕は「ゲラゲラ」と
肩を上下に小刻みに揺らしながら
ずっと笑っていた。
不謹慎であることは
その当時でもわかっていた。
でも、ずっと笑っていた。
泣きじゃくる親戚や
暗い顔をしている
近所の人たちが大勢いる。
病室の外へ出た。
「いつまでここにいるのかなー・・・」
と思っていた。
病室を出てから30分後、父さんは息を引き取った。
僕と父親との思い出は
ここで終わった。
たった7年の儚い思い出になった。
正直、父さんは
1年以上入院していたので
寂しさというのは
あまりなかった。
ぽっかりと心に
小さな風穴があいた程度だった。
お通夜やら火葬やら葬式やらが終わって
日常にもどり
また学校に通うようになってからも
何かしら問題を起こした。
ある時、教頭先生から呼ばれた。
2度目の校長室。
やんちゃなこと以外にも
要件があったらしい。
夏の体育には水泳の授業がある。
僕は水泳道具を
持っていなかった。
そのことについて教頭先生に
何度か聞かれてた。
ぶっちゃけ
水泳は嫌いだったこともあり
母親にも水泳道具買って
とは言ってなかった。
というよりシラを切っていた。
父親のこともあり
かわいそうに思ったんだと思う。
この時の教頭先生は
女性だったというのもあってか、
感情で僕に訴えてきた。
泣きながら
これまでのことを話してきた。
父親がなくなるあたりに
母親が学校にきて、
涙を流しながら話したそうだ。
「父親が死にそうだ。
父親の看病で手一杯、、、
だから、子どものことをかまってあげられない・・・」
教頭先生は
その時のことを
顔をグジャグジャにしながら
僕に話してくれた。
それを聞きながら
僕も釣られて
しくしく泣いていた。
実際、母親が家にいる時間は
短かかったように思う。
その日の放課後、
教頭先生は僕を連れて
近くの店で
水泳パンツとタオルと水泳帽子を
買ってくれた。
父親が亡くなって数日後に
同じクラスの女子生徒が
今でも忘れられない
最低な質問をしてきた。
子どもってのは非情なもんだ・・・
先生にマジギレビンタされた3年生
1年ごとに起きる出来事の
スケールの大きさに
驚きを隠せずにいます。
3年生にもなると
だいぶ落ち着いてくるようだ。
見るからに心が成長している。
この1年間は
脱走なんていう聞いたこともないような
事件は起きなかった。
起きた出来事といえば
マジギレした先生に
ビンタされたり・・・
給食中に牛乳を吹いてみたり・・・
となりの席の女の子を
いたずらして泣かせたら、
担任に好きなんだろう
と言われたり・・・
友達とケンカして、
腹パンチを10回ぐらいしたら
口から血が出てきたり・・・
といったぐらいで、
1年前に比べたらやることは
少し大人っぽくなり
だいぶ落ち着いてきたように思います。
「初めての商売」と「初めてエロ漫画」を体験
小学4年、夏休みの出来事。
それは忘れもしない・・・
当時はゲーセンに
はまっていた。
ゲーセンにはネオジオといわれる
どデカい画面で
やる格闘ゲームが
べらぼうに流行っていた。
毎週のようにゲーセンに集まっては
「誰がクリアするんだ」
とみんなで競い合っていた。
隠された超必殺技と言われる
レアな技を見つけようと、
みんなが血まなこになって
必死に探していた。
その中でもとりわけ僕は
ゲームがうまい方だった。
対戦しても僕が勝つことが
圧倒的に多かった。
ある日、友達のAくんと
近所の食品スーパーで
いつものようにゲームをしていた。
店内にある雑誌コーナーを
たまたま気にかけ、
流行っているゲームの雑誌を見てみた。
中を見るとそこには信じられない
光景が広がっていた。
クラスのほとんどが
夢中になっているゲームの
記事が載っている。
そこには血まなこになって
探していたキャラクターごとの
超必殺技のやり方が
全て書かれていた。
全部かいてる・・・
これってみんな知りたいやつだよね?
ってか、みんなこの雑誌のこと知らないよね?
もしかして・・・・・
これって売れるんじゃなーーーい!!!!
さっそく次の日、
学校で独自に値付けをして
商品メニューを作った。
人気のキャラは高くして、
人気がなさそうなのは安めに設定したりした。
といっても、
高くて80円程度で平均50円
というかわいい金額だ。
超必殺技を知りたそうな
クラスの何人かに声をかけた。
いわゆる営業をした!!
そして実際に売れた!
何人かは興味を持って
買ってくれたのである。
数百円程度だが儲けることができた。
となりのクラスにも営業をかけに行った。
そのクラスには
いつもゲーセンにいる男性陣に混ざって
一緒にゲームをやるDさんという
女の子がいる。
実は当時、僕が好きな子だった。
その子に
知りたくない?
できるようになるよ。
50円でどう?
と聞いてみた。
直後、Dさんは予想だにしなかった驚愕の行動にでた。
まっすぐに職員室に走っていって
Dさんの担任のS先生に
僕が情報サービスを売っていることを
チクリに行った。
あえなくS先生からは
やめるように言われた。
でも怒られることはなかった。
その日の放課後、S先生が
と言ってきた。
と、ドキドキしながら放課後を迎えた。
放課後、S先生は机をあいだにして座り、
ゴソゴソッと
おもむろに将棋を出してきた。
将棋を覚えはじめたようで、
ハマっているのだと。
僕は学年の中でも
トップクラスに将棋が強かったので
打ってみたかったらしい。
将棋の最中に2学年上の姉がやって来た。
S先生が呼んだらしい。
と姉とおれに言った。
この出来事は後々になって
僕に大きな衝撃を与えた。
これが普通の小学生5年なのかもしれない
この年は本当に思い出という
思い出がほとんどない。
あるとしても
塩をひとつまみするような
ほんの少しだけだ。
友達と口論していたら、
剣道を根性で教えている体育会の
担任が入ってきた。
思わずにらみつけてしまった。
と言って、
僕の頭を手のひらでバチーンと叩き、
足くびをガチッとつかんで
逆さづりにされた。
今で体罰はメディアで
かなりバッシングされているが
とよく思っている。
初めてできた彼女との「終わりの始まり」
実は初めて商売の時に
チクられたDさんとは両想いだった。
そして、告白・・・
小学5年生にして晴れて
僕らは付き合うようになりました。
これをきっかけに
僕とDさんは全く話さなくなりました・・・・・
お互い恥ずかしくて、、、
全く話せなかった・・・・
時々、
電話したりもしましたが
まるでイタズラ電話のように
無言が続いていました。
さらには、
同じ趣味のゲーセンで
遊ぶ回数も減る一方。
でも、好きという気持ちはありました・・・
しかし、全く話さない。
そのまま時間だけが過ぎていきました・・・
エアーガンで「人」を打つ!小学6年の夏
小学校6年ともなれば
さすがはお兄さん。
やることが大人びている。
破天荒な出来事といえばほとんどない。
あるとしたら、
当時流行っていたエアーガンを
至近距離で人に2回、
打ったことぐらい。
ちなみに僕はエアーガンを
2つ持っていた。
それぞれ1度ずつ人に
向けて打った。
ちなみに人とは僕自身に向けて。
そう、僕は自分に向けて打った。
さすがは好奇心旺盛!!
やることがハンパじゃない。
絶対に痛いと
わかっていることを
身をもって
体験しようとするのだから。
ある日、
幼なじみのAくんちで
一緒にエアーガンで
いろんなところに
打ってあそんでいた。
夕方、家に帰ったところで
Aくんちに忘れものをしたことに
気づいた。
そしてすぐに取りに向かった。
Aくんちの目の前に着いたときに
「フッ」
と何かが脳裏をかすめた。
お気に入りのエアーガンを見ながら
んっ????
どこかで聞いたことがあるセリフ・・・
そして、
右手にエアーガンを
ガッチリと握りしめた。
まるで映画のシーンにあるように
左手の甲の親指と
人差し指の付け根のあたりに
銃口を近づけて
しっかりと狙いを定めた。
グッと構えて
打つのか!・
手の平はジメッとしている。
さっきまではサラサラだったのに、、、
打つのか!・・・
心臓の鼓動は、
まるで激しさを増している
大太鼓のようだ
本当に、
打つのか!・・・・・
「バーーーーーーーーーンッ!!!!!!」
銃声が響き渡るには
十分なほど静かな田舎町だった。
そりゃそうだろう。
痛くてあたりまえだと思う。
痛みに激しく喘いでいるときに
何を思ったか、
次の瞬間・・・
こっちとそっち、痛いのはどっちだ?
さすがですっ!
この好奇心の旺盛さには、
参っちゃいます。
完ぺきに脱帽です。
右手に持つエアーガンを
もう一つの銃と持ちかえた。
最初に打ったところと
少しだけ狙う場所を変えて構えた。
次の瞬間・・・・・
「バーーーーーーーーーーーン!!!!!」
そりゃそうだろうね。
絶対痛いから。
やらないと分からなかったんだよね?笑
そして、忘れものをとって
無事に帰りました。
一つの出会いがあれば一つの別れがある
年の暮れに
非常に残念な出来事が・・・
5年の時から付き合っていた
彼女と別れることに。
さすがに全く話さなくなってからは
毎日が辛かった。
席替えしては
となりの席になるように仕込んだりしましたが、
全く話すことができない。
それが嫌でたまらなくなり、
ついには別れを告げました。
それから、
Dさんと話すことは
ありませんでした・・・
体罰が当たり前!雄叫びをあげ、横でニヤッと微笑を浮かべる最低の体育教師!
さらに、発情期の5人組がやらかしたア◯ルトビデオ我慢選手権!
【1章】「2度も発砲」エアーガンで〇〇した破天荒なヤンチャ坊主
↑ 今ココ!! ↑
【2章】「たった一つ」の夢を失った中学生時代の発情がまん大会
【3章】恋愛に部活に青春!なんて幻想は一切ない!ガタガタと崩れる人生の歯車
【4章】晴れやかな卒業!?惨めさの渦中で決断した「一つの選択」
【5章】心機一転のインストラクター養成校!?崩壊の4重奏が響き渡る!
【6章】人生の分かれ目!クビ宣告されたダメ先輩を反面教師にした派遣社員時代
【7章】2度目の専門学校!「1つの出来事」が止まった歯車を動かした!
8章 作成中