【7章】2度目の専門学校!「1つの出来事」が止まった歯車を動かした!

 

前回までのあらすじ

【6章】人生最大の分かれ目!クビ宣告されたダメ先輩を反面教師にした派遣社員時代

「おれの人生はこのままでいいのか?」

自問自答した結果、医療系に進むことを一大決心した。

そして、お試し受験した結果、なんと一発合格を成し遂げた。

派遣社員というおれにとっては夢のない地獄のような生活にピリオドを打った。

 

「元気だが?^^おれ、自分で車屋はじめることにした!」

兄の一言がきっかけでおれは自分の心に異変を感じた。

自分で決めたはずの人生の選択だったのだが、何かが違うと・・・

 

兄が起業する

 

専門学校入学後は1年ぶりに学生生活を満喫していた。

 

やはり学生は好きに使える時間がたっぷりあるので「暇だなー」といつも思っていた。

「何かバイトしようかなー」なんて思いながら半年過ぎた。

 

学生になった目的はバイトのためではなかったのと、学業に専念できない可能性があったからだ。

しかし、夏休み過ぎから知り合いに誘われてカラオケ店でバイトを始めた。

そんなに長くするつもりはなかったのだが2年間続いた。

そこでは働くことの意識を学んだ。

 

「積極的に仕事探してどんどんこなすこと」

 

今でも体に染み付いている。

他で働くようになってからわかったのだが、大抵の人は積極的に仕事ができない。

 

おれもここで働く前までは言われたことしかやらなかった。

あまり気が向かなかったバイトだったけど、生きる上で評価される姿勢を勉強させてもらった。

 

そんなある時、1年に3回もはなさない兄からの電話が鳴り響いた。

そこで、車屋として起業する話しを聞いた。

 

兄「元気だが?^^おれ、自分で車屋はじめることにした!」

俺「マジ!?すげーなー!!大丈夫なの??お金は??」

 

初めて話しを聞いたときはビックリした。

田舎ということもあり、ガソリンスタンドに安い給料で働いていた。

 

「暇になりでー」

 

と、以前から兄はよく言っていた。

だから、暇になるための勉強をよくしていた。

 

株や不動産、何かネズミ講のような話しをよく母に語っていたのを横から何食わぬ顔で見ていた。

 

整備士としてディーラーに勤めていた兄は転職した先で、否定的な扱いをされ3ヶ月でやめた。

そして、一時は車業界を引退し営業をやっていた。

 

毎日遠方まで自家用車で通い遅くまで働く営業が辛くなり、自宅の近くで働けるガソリンスタンドで働き始めた。

そんな紆余曲折あった事を知っていたので起業する話を聞いた時は驚いた。

 

本当に大丈夫なのか?

お金はどうやって用意したのか?

家族はどう言ってるのか?

 

今振り返ると否定的なことしか思っていなかった。

起業する側の立場になればわかるが、最初は本当に怖い。

 

先が全く見えないからだ。

 

いくら起業して数億円稼いでいる人に教えてもらっていたとしても尻込んでしまう。

 

しかし、暇になりたい、自由になりたい、お金持ちになりたい、好きに遊びに行きたいと思うならサラリーマンでは絶対に無理だ。

 

それだけはわかる。

その当時は周りに起業してる人を知らない。

成功の仕方なんか全くわからない。

 

だから、兄が起業することに不安を覚えていた。

それと同時に「おれも自由になりたい!!」と幼かったときに憧れていたのを思い出した。

それからというもの、おれは雇われることに違和感を感じ始めた。

 

医療系で働くということは必ず雇われることになる。

「それはおれのやりたい人生なのか?」

 

そう思うようになった。

 

日本は優秀なサラリーマンを育てる文化が非常に良くできている。

教育では文字や数字を習い、さらにいろんなバリエーションの活用法も学んでいる。

おれも後はないという心構えで入学した学校だ。

だから、今までとは違う気持ちで学業に励んだ。

 

相変わらず朝起きるのが苦手だ。

でも諦めることなく頑張って起きて学校に通った。

 

テスト期間中も前の日に徹夜で勉強をするなんてことはしなくなった。

2週間前から計画的にテストに臨むようになった。

たったそれだけのことだったけど、そのおかげでテストはゆとりをもって受けることができるようになった。

翌々日のテスト勉強をしているぐらい余裕があった。

もちろんテスト結果も良く、いつも100人中上位5番以内には余裕でいた。

 

通信簿のような評定もかなり優秀だった。

2年のときは全て「優」という評定だった。

 

いわゆるオール5だ。

 

友達とテスト勉強の話をすると、よくビックリされた。

やり方をオススメしたんだがおそらく誰もやっていないだろう。

やってれば絶対に結果が出るからだ。

 

超難関国家資格合格

 

医療職の国家資格をとりに専門学校に入ったのだが、その資格関連で誰でも受験することができる国家資格がある。

ただ、これは超難関な国家資格だ。

 

第1種放射線取扱主任者といって、医療に関わる人が上を目指そうとするときに取得する資格であったりする。

 

他にも空港で荷物検査をしているのを見たことがあると思う。

その機械や人の管理をする資格でもあるはず。

他にも放射線に関わる環境保全や地学で学ぶ化石となった恐竜や貝がらのいた時代を知る技術を管理する資格だ。

そういったところの研究者が取得を目指す超難関国家資格だ。

 

合格率は20%前後。

 

普通の人はそんな資格があるのは知らないから全くの関係ない人はそもそも受験しない。

ある程度以上の知識がないと受けない。

勉強するとわかるが、ものすごく難しすぎる。

まず、何いってるか意味がわからない・・・

 

だから、受験申し込みだけして試験会場にいかない人が1割ぐらいいる。

さらに、試験は2日間行われる。

1日目だけ受けて、2日目に試験に行かない人が2割ぐらいいる。

すでに試験を終えるまでにかなり振るいにかけられる。

 

ある程度の知識を持った人たちがだ。

そんな超難関国家資格におれは「合格」した。

 

あれは奇跡だった。

おれは実質、試験勉強を本格的にスタートしたのは試験の2週間前からだった。

それまでは「のほほーん」としていた。

なんとなくやる気が出なかった。

でもさすがに2週間前に国家試験があるのに黙ってはいられない。

 

その前からもあと1ヶ月で試験だなー・・・」なんて思っていた。

そしてやっと、過去問を開いた。

 

・・・・・

「なんじゃこりゃぁぁーー!!??」

「やばい難しすぎる・・・」

「これ間に合わなくね????」

 

今さら気づいた。

受験することは1年前から決めていた。

だから過去問は半年ぐらい前に買っていた。

そして、過去問を開いたのは2週間前だ。

 

「・・・・・・」

「よしっ!!まずやろう!!」

 

その日からおれは超難関試験に立ち向かった。

 

ガムシャラに過去問を解かなかった。

量より質を狙って計画的に勉強した。

試験は2週間後だ。

 

このままやっても絶対に合格しない。

はじめて勉強の戦略を立てた。

試験は6科目ある。

2週間で6科目やらないといけない。

 

暗記だけでいいのは1科目だけだ。

丸暗記するだけなら問題を解きながら覚えると比較的短い時間いけるから後回しにすると決めた。

だから最後の3日にすべてをかける。

 

それまでは計算やら深い知識が必要なものを優先にやる。

といっても、残り5科目は深い知識と広い知識が必要だった。

 

さすがは超難関国家資格だ。

 

タダではいかないようだ(そりゃそうだ)

過去問題集は10年分ぐらいあった。

でも、10年分なんかやってられない。

とうてい間に合わない。

 

5年分やれば大体網羅するだろう。

そう考えた結果、5年分を何回か復習する計画にした。

 

それからというもの、心が折れるか折れないかのまるで戦争のような壮絶な日々は続いた。

スタートはものすごく良かった。

まず、1科目目を直近1年分を解いてみた。

思ったよりなかなかいけた。

7割ぐらいは解けていた。

 

おれは独特の試験勉強法をしていたと思う。

一度解いた問題用紙を続けてもう一度解く。

もちろん回答率はグンっと上がる。

9割は超えてくる。

そして、続けざまにもう1回解いてみる。

するとほぼ100%解けている。

 

それを続けて数年分やると気づいた。

 

「1科目は大丈夫だな(ヨシッ!)」

2科目目も同様だ。

順調に解けていく。

 

3科目目でついに壁にぶつかった。

全くわからない・・・

今までと理解の仕方が違うし、、暗記の分野が違うのでまた新しいことを覚えないといけない。

これはやばい・・・

しかし、引き下がらないで突き進んだ。

3回解こうが問題を理解できないからどうしようもない。

これは山場だ。

何回も解いているうちに何となく気づいてきたことがあった。

「もう無理かもしれない・・・・」

凹んでいた。

 

しかし、残り時間はあと数日のみ。

その瞬間に決めたことがあった。

 

「もう二度と受験しない。だから今回は辛い思いはするけれどやり通そう!!今回だけ歯食いしばって頑張るか!!」

 

理解できない問題を頑張って理解しようと必死になった。

暗記するにも知識が深すぎる・・・

 

試験の合格基準はこうだった。

「6科目の合計点数が6割以上かつ1科目が5割以上の点数をとっていること」

苦手科目でも5割とっていれば良い。

 

得意な科目で苦手科目をカバーできる。

ということを意味している。

 

1科目だけはどうしても理解が深まらない。

だから勉強方針を5割の点数をとることに変更した。

最初から高得点は目指していなかったが、安全圏も狙えるほどじゃない。

 

ましてや他の科目もかなり難しい。

1科目に時間をとられているわけにはいかない。

開き直り、また突き進んだ。

 

試験3日前。

ついに残りの暗記系1科目に取りかかる。

それまでは全くのノータッチだった。

解き始めてみた。

 

「うっ!!!!?????」

「やばい・・・わかんない・・・」

 

暗記系は初めて見るとかなり動揺する。

何も暗記してないから全くわからない。

でも、3年分を3回ずつ解けばもう大丈夫だ。

 

いつも同じような問題しか出ない。

暗記系はなんとか間に合った。

あとは、苦手科目を最後まで諦めずにやり抜くしかない。

かなり必死になった。

学生だったから時間はあった。

だから、普通に睡眠は取れた。

というより、勉強時間は1日5時間と決めていた。

思ったより短い。

 

でも、その短時間の集中力はものすごかったと思う。

5時間以上勉強することはほとんどなかった。

 

試験の日がやってきた。

1日目に得意科目と苦手科目を含めて3科目ある。

初日の試験終了後、苦手科目はやはりヤバい気配がする。

問題は持ち帰ることができたが、答え合わせはしなかった。

 

問題を解きながらの予想ではギリギリ合格ラインの5割ぐらいだと思った。

帰る途中、友達にあった。

 

友だち
「どうだった??」
こばりん
「おれは3科目目が勝負かな」
友だち
「最初の科目は?」
こばりん
「多分大丈夫かな?」
友だち
「マジ?むずく無かった?」
こばりん

「たぶん・・・(えっ!そこで引っかかってんのかー・・・)」

友だち
「明日来る?」
こばりん
「来るよ。3科目目だけが勝負だと思ってるからね。」
友だち
「明日来ないかも・・・」
こばりん
「えっ!そうなの!!??(ホントに来ないとかあるんだー)」

 

なんと受験自体あきらめるようだ。

その後はどうなったかは聞いてないがたぶん受けてないだろう。

ぜんぜん歯が立たなかった様子だ。

 

次の日も試験を受けにきた。

試験は朝が早いからいつも怖くなる。

いつまで経っても朝は苦手だ。

目が覚めるか不安になる。

ほどよい緊張感があるからか少し早めに目が覚めた。

むしろ寝たはずなのに寝不足みたいな感じになってる。

 

緊張するとこういうものなんだろうな・・・・

 

2日目の試験を受けた。

最初の科目が始まった。

 

「・・・・・やばいっ!!」

「何だこの問題はっ!!??見たことがない・・・」

 

いきなりの最初の試験は大問が6つある。

1発目の大問が全くわからなかった。

全然見たことがない。

過去問5年分の中にない問題が出てきたのだ。

 

「えぇぇぇーーー!!どうしよう!!!」

でも立ち止まれないし、立ち止まってはいけない。

残り5つの大問にすべてをかけた。

2日目のいきなりの山場を乗り越え、国家試験の日程を無事に終えた。

 

疲れた・・・・

 

もう勉強したくない・・・・

 

ただ、今回の試験のおかげでかなり広く深い知識がついた。

そして、学校の試験も勉強しなくても高得点取れるぐらいだった。

国家試験の合格発表は通知で知らされる。

受験者はかなりの人数がいるためか、不合格者には何の通知も来ない。

 

不合格通知さえ来ない。

 

なんとも敷居の高い資格だと痛感する。

 

試験を終えて、友達と「マジ辛かったー」なんて話し、受験を忘れていた頃のことだ。

試験から2ヶ月後のこと、いつものように学校から家に帰ってくると1通の不在通知が届いていた。

送り主は文部科学省だ。

 

「!!!????」

 

「文部科学省???」

 

「なんかしたっけ???もしかしてこの間の試験??文部科学省だっけ?・・・・」

 

その日は受取りが出来なかった。

次の日、一緒に試験を受けた友達に聞いてみた。

その友達は1種ではなく、より簡単な2種を受けていた友達だ。

友だち
「おれ届いてないよ。」
こばりん
「えっ!!届いてないの??2種だよね?(2種って落ちんのかな?)」
友だち
「受かったんじゃない?」
こばりん
「そうかな?あれー2種受けたんだよね?」

 

友達に若干酷いことを言ってしまったかもしれない。

だが、その場は笑ってすんだ。

学校から帰ってから通知を受け取った。

 

封筒の中には超難関国家資格の合格通知が入っていた。

 

「マジーーーー!!!やったーーーーーー!!!(嬉々)」

 

このとき、何かの呪縛から解き放たれたように身体が軽くなったように思えた。

次の日、普段はものすごく厳しく、鋭い目つきをしていて、あまり勉強をしなさそうな学生にはかなり冷たくあたっている

(一応ゲキを入れているつもりかも)担任に合格したことを報告した。

 

次の瞬間!

 

「ほんとうっ!!おめでとうっ!!!(喜)」

まるで両耳にズポっと指を突っ込まれたようにビックリして、祝福の握手を求めてきた。

毎年、1人合格すれば御の字の資格だったから担任も嬉しかったのだろう。

ちなみにおれがいた学校では10人以上が受けて合格したのはおれと学年トップの人だった。

 

数々のバイト経験

 

勉強に自信が出てきたおれは時間に余裕が出てきた。

それに乗じて、さらに単発のバイトをいくつもやった。

決算時期の棚卸し、お歳暮の配達業者、クリスマスのパン工場、シーズン真っ盛りの引っ越し屋。

夜通しの製本工場。

 

この多くバイトが、当時、世にブラック企業を知らしめた派遣会社だった。

仕事の中身もかなりしんどいが何より給料が安い。

8時間まともに働いた結果、交通費込みで6000円ぐらいだった。

 

ありえない給料。

 

でも、仕事がたくさんあるというポイントがメリットの会社だった。

その会社でわけが分からないところがあった。

仕事するのに無地のトレーナーを薦めてくる。

それはなんとなくわかる。

 

事務所に社名入りの無地のトレーナーが3000円で売ってあり、それを販売してくる。

はっきり言って、ユニクロだ。

当然断った。

「思い出作りにいいかな?」とも思ったが、馬鹿くさくなった。

 

それだけじゃない。

カッターや軍手も販売してきた。

普通に高い。

ホームセンターで買うと半額ぐらいで買える。

労働者を馬鹿にしているようにしか思えなかった。

 

というか、事務所にいる派遣する側の人間はかなり頭が悪そうだった。

 

ずっとへらへらしていた。

 

おそらく人を下に見ていたと思う。

人を動かす側の人間が人を見下すようであってはダメだということを再認識させられた。

 

「信じられないバイト経験談」は別記事で紹介しますね。

数々の経験を重ね、もう戻らないと心に誓って地元から出てきたおれは、卒業を機にひょんなことをきっかけでブーメランのように地元に戻ることになった。

 

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