初めまして。
こばりんの嫁のつまネエです。
ふつつか者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
社会人1年目の春は、
就職氷河期と言われていました。
どこにも就職先がなく、
路頭に迷いそうになっていた二十歳
とりあえず生活費を稼がないと
という気持ちもあり、
割と採用してくれやすかった
派遣社員として
しぶしぶ働くことになりました。
派遣社員として
地元工場で働く中で
なかなか一般的には体験できないことを
体験させてもらいました。
倒産だったり、
クビになりかけた先輩だったり、
急に逃亡して県外に
行ってしまった人がいたり、
なけなしの皆勤手当がなくなったり、
正直、辛かったです。
でも、そんな辛い時期があったから
今があるんだと思います。
だから、僕にとって、
なくてはならない体験なんだと思います。
【序章】僕が派遣社員の時の給料は〇〇万円でした・・・ ← 今ココ!
【1章】「2度も発砲」エアーガンで〇〇した破天荒なヤンチャ坊主
【2章】「たった一つ」の夢を失った中学生時代の発情がまん大会
【3章】恋愛に部活に青春!なんて幻想は一切ない!ガタガタと崩れる人生の歯車
【4章】晴れやかな卒業!?惨めさの渦中で決断した「一つの選択」
【5章】心機一転のインストラクター養成校!?崩壊の4重奏が響き渡る!
【6章】人生の分かれ目!クビ宣告されたダメ先輩を反面教師にした派遣社員時代
【7章】2度目の専門学校!「1つの出来事」が止まった歯車を動かした!
8章 作成中
目次
コッソリ上司より稼いでます
その後、派遣社員は辞めて、
転職し病院でレントゲン技師として
働いています。
そして、
会社にバレないように
こっそり副業をしています。
その甲斐あって
僕はまったくの平社員なのですが、
10年以上長く働いている上司よりも
大きな収入を得ることができています。
副業といっても1日平均1〜2時間だけ
働いているだけなんです。
しかも毎日じゃないです。笑
それだけで、10年以上長く働いている
何人かの上司よりも稼ぐことができているんです。
あと、ここだけの話なんですが、
じつは副業の方が時給が高いんです^^
いまは副業をもっと拡大して
本業のサラリーマンを辞めて
独立しようと思っているので、
日々、勉強に励んでるわけなんですよね^^
なんの取り柄もないの貧乏な派遣社員でした
社会人となって初めて就職した会社は派遣会社でした。
2年制の専門学校を卒業したばかりの
ホヤホヤの20歳だったのですが、
まーったく夢を持っていない
お先真っ暗な気持ちで
イヤイヤながら就職活動したのを
昨日の事のように覚えています。
正直、、、
思い出すだけで涙が出そうになります・・・
手取りはたったの14万円・・・
交通費は最大5000円。
どんなに遠くから通ったとしても。
ある給料日の日に、
正社員の人から信じられない
言葉を浴びせられました。
派遣社員だった僕を見下していたんでしょうか。
仕事中、休憩中、飲み会中にさえも
ちょくちょくそんな場面がありました。
その度に僕は傷ついていたのを思い出します。
僕は10分程度と家から職場まで
近かったのですが、
1時間ぐらいかけている先輩と
同じ交通費と知った時は
驚きとともに笑ってしまいました。
先輩は笑えなかったでしょうね。。。
派遣会社あるあるだと思うんですけど、
月ごとに皆勤賞があるんですよね。
朝が弱かった僕はこの皆勤賞が大嫌いでした。
遅刻一発で皆勤賞が吹き飛びます。
よく寝坊してしまっていたので
この皆勤賞がなくなることが
2ヶ月に一回ぐらいはありました。
ちなみに皆勤賞は10000円でした。
給料14万円しかもらえないのに
皆勤賞がなくなると一気に13万円台です。
そこの派遣会社は
結果的には3ヶ月で辞める決意をして、
次に向かって色々探していた矢先、
派遣会社の社長が脱税をして
ニュース沙汰になるという、
ときたま見かける信じられないことを
やってのけてしまったみたいで、
それがきっかけとなり派遣会社は
倒産することになりました。
そのために何十人と働いていた派遣社員は
全員クビになってしまったんです^^;;
僕もクビになった一人です。
人によっては路頭に
迷ってしまった人もいるかも・・・
社会人1年目で経験した恐ろしい光景を
今でも忘れることはできません。
ちなみにですが、先日、15年ぶりぐらいに
先輩の派遣社員だった人に
ラーメン屋でバッタリ会いました。
そして、声をかけたら・・・・
安定した給料をもらいたい・・・
僕は派遣会社が倒産する直前にですが、
次の行く先が決まっていたので
特に問題はありませんでした。
むしろ倒産と聞いて、
「辞表出さなくてよかったー・・・」
と、ひと安心してました。
実は専門資格を取ろうともう一度、
関東の学校に入り直そうと勉強していたんです。
昔から勉強が嫌いだったので
って感じだったんですけど、
受験勉強のために歯を食いしばって
毎日5時間は机に向かってました。
慣れない勉強をしたおかげもあって、
入学試験を無事に一発合格できた時には
興奮のあまり、
母親と15年ぶりぐらいの
ハグをしてしまいました。笑笑
翌年から3年間ほど関東の専門学校に通いました。
と、意気込んでいたので
周りでいつも遊んでいた人達よりも
しっかり勉強しました。
結果的に定期試験は
いつも4番以内にいることができたんです。
挙げ句の果てに専門的に
勉強してる100人に3人ぐらいしか
合格しないような超難関資格まで
合格してしまいました。
第1種放射線取扱主任者というやつです。
合格率は研究者レベルの人たちが受けて20%ぐらいです。
大体は落ちます。
一回も使ったことないですが、就職試験で有利ということで取りました。
この時は、かなりしんどかったです。。。
合格したのは、
100人いた同級生の中では
僕ともう一人だけでした。
他のトップクラスの人はことごとく
落ちてしまったんです。
ちなみにもう一人の人は僕より年上だったので、
僕よりもやるしかない状況だったと思います。
夢の先に待っていたのは理不尽なパワハラ三昧でした
学校の卒業を目の前にして、
国家資格も合格見込みがあって、
就活で何社か受けたんですが、
ほとんどの会社では、
よく成績が優秀なことを
褒めてもらうことができました。
と内心ニタニタしてました。
でも、結果は不採用続きという
わけわからない状況でした・・・
そして、仕方なく地元で就活しました。
地元ではかなり大きい部類に入る会社を
受けてみたところ、
そこの面接の時にも成績を褒められました。
と思っていたのですが、
なんと採用試験の三日後くらいに
合格通知が届き無事に
就職することができました。
大きい会社だったので、
夢にみていた安定した給料が
もらえるところで働くことができました。
ただ契約社員だったので、
いつかは別のところに移らないといけない時が
くるかもしれないという条件でした。
と、そんな浅はかな気持ちで働き始めました。
ところが、フタを開けてみると
外から見ていた安泰とはかけ離れていました・・・
残業が毎日あるのは当たり前。
上司が部下に仕事を押し付けてくるのは当たり前。
ってか仕事を教えないってことがありえるの?
っていうこともチョクチョクありました。
まったく教えてもらえない
ということはないのですが、
教え方が雑。。。
すごーくいやだったのが、
上司同士で仲が悪い人たちがいたんですけど、
この人たちの仲介に立つのが本当に嫌でした。
と心では叫んでいたのですが、
そんな心の声はパワハラがいとも簡単に
かき消してくれました。
パワハラから逃げた先で待っていたのはパワハラでした
「あいつには好きにさせるな!!」
2年間ほど働いてから、別の会社に転職しました。
また、そこでもパワハラなのか、嫌がらせなのか、
そのような出来事がありました。
僕は転職した先の会社に貢献しようと
知恵を振りしぼって働いていました。
少しでもコストをかけずに
会社の利益を増やそうと。
少しでもお金をかけずに
会社の仕組みを効果的に効率的にしようと。
そんな思いで僕は長期的な目標を持って
仕事に取り組んでいました。
あるとき、仲の良かった同僚が
突然、仕事を辞めることになりました。
辞める理由は、
- 契約社員
- 前の会社の半分ぐらいの給料しかもらってない。
- 上司が自分は仕事しないくせにどんな仕事をしているか干渉してくる
- やっても誰も評価してくれないからやりがいがない。
- 交通費負けしている
という理由で仕事を辞めることになりました。
2年ぐらいしか一緒にいなかったのですが、
仲が良かったので
最初で最後に二人で
初めて飲みに行きました。
その同僚は会社の職場のトップに
近いところで働いていた
ということもあり、
トップの声をよく聞くことがあったそうです。
その声の中に
なんと僕に対してこんな言葉がありました。
仲が良かったのもあるし、
お酒が入っていたというのも
あると思うのですが、
そんなことを言っていたと
教えてくれました。
それを聞いて僕は
と思いが強くなりました。
今更ではなく前から
そんな節はあったのは事実です。
僕の後から入ってきた人が
学歴が上ってだけで
僕より先に
たった数年で昇進しました。
仕事ができるかどうか
なんてのは一切ないのに。
僕の我慢は限界に達しました。
子どもと妻と一緒にいられない
転職先の会社では
中途ということもあり、
即戦力で雇ってもらうことができました。
と疑問に思いはじめたのはこの頃です。
じつは転職前に結婚していました。
転職してまもなくして
初めての子供が産声をあげました。
見ると、とーっても愛おしく
いつまでも一緒にいたいと
胸がキューーーンとするほどです。
しかし、出産が近づいていた時のことです。
僕は初めての子供ということもあり、
心配性の妻のそばにいてあげたかったのですが、
仕事があるのでそうもできません。
いつ産まれてもおかしくない時でも
いつもせっせと汗を流して働いていました。
そして、仕事中に職場の電話がなりました。
それは病院からで出産が近いとのことです。
でも、職場から病院は遠く
すぐに駆けつけることができませんでした。
それでも早く仕事を切り上げ、
無事に出産に間に合ったのですが・・・
出産してから一週間が経つと
子どもと妻が退院して家に帰ってきます。
ところが僕の仕事は相変わらずです。
産まれたばかりの
泣くことしかできない子どもと
出産で弱りきった妻の二人しかいなかろうが、
お構いないしに働きに
行かなければなりません。
それに疑問を持った僕は
どうにかこの状況を抜け出さなきゃと
思い始めました。
貧乏マインドは幼少時代に
僕の父は幼少の頃に
腎臓のガンで死んでしまいました。
だから僕は父親の記憶がほとんどありません。
女手一つで育てられました。
僕には兄と姉がいます。
母親一人で3人を育てるのは相当大変だったと。
そんな母親はいつも僕に
語りかけてくれた一言があります。
僕はそうやって何かにつけて
安定が一番大事なんだよ
って言葉を浴びながら
すくすく元気に育ってきました。
学生時代は紆余曲折ありましたが、
就職する頃には
安定した仕事を探そうと
頑張っていました。
でも高校を卒業するころには、
マジメに勉強していなかった僕に
安定した就職先は一つもありません・・・
「一生、不安定のままいきていくのか・・・」
そう思って、
安定した仕事が夢だった僕は
地獄をさまような気持ちで
毎日を生きていました。
毎晩のように明け暮れたネットサーフィン
いままで会社の利益のために
尽くしてきたのに、
会社からは不当な扱い。
マジメに働いていて辞めた同僚が
受けたパワハラに近い仕打ちを
見ていると、
一生会社にいるべきじゃない。
子どもや妻が寝静まった頃、
無我夢中でパソコンにかじりつきました。
このままでいいのか?
あと何十年って
このまま会社に
こき使われるのか?
学歴だけで昇進していく
不当な仕組みの中で
雇われ続けるのか?
僕はそんな思いに
何日も何日も悩まされ続けました・・・。
ネット上にはいろんな情報が
載っていました。
どうやら、
会社に対して不満を持っている人は
ごまんといるみたいで、
僕と同僚だけではなかったようです。
その時に初めてしったのですが、
不満を持っている人たちの中には
起業して独立するなんて人もいました。
と、こまからひょうたん状態でした。
独立するには
いろんな手法があることを知りました。
不動産、パチンコ、スロット、
株、FX、競馬、士業などなど。
どれもまったく内容が
わからないというのが本音。
でも、これだけはわかっていました。
どれもかなりの資金がいる。
資金のいらない起業があった
結局、起業するには
資金がものをいうんだな・・・
そんなことを思いながらも、
お金がなくても起業できる方法は
ないものかと
その後もずーっとネットサーフィンを
続けました。
すると、
ある言葉が目に飛び込んできました。
ネットビジネス
というものです。
簡単にいうと
インターネットを使ってお金を稼ぐことを言います。
このネットビジネスの
最大のメリットは
資金がほとんどいらないことでした。
もしかしたら僕でも
起業ができるかもしれない
という兆しがみえたのは
この瞬間でした。
ひとつの出会いで道ができた
さらにネットビジネスについて
調べてまくっていたら、
長ったらしいセミナーの
紹介をしている記事がありました。
結論から言うと
このセミナーが僕の人生の舵を
大きく変えました。
仕事で勉強会やらセミナーには行きますが、
こんなわけもわからないセミナーには
行ったことがありません。
そんなセミナーに
お金を払って受けるなんて
今まで考えたこともなかったです。
しかし、僕にはこんな思いがありました。
そして、僕はお金を投げ捨てるつもりで
セミナーを受けることを決意しました。
見ている世界が違った
はっきり言ってセミナーを受けたことは、
人生の中で1番正しかった
選択をしたと今でも思っています。
その時の自分に言いたいです。
僕はこのセミナーを受講して
ビビビッとインスピレーションを受けて、
その翌月から起業することができました。
今までやったことのない
起業をそのセミナーを受けた
次の日には
起業の準備を始めていました。
ネットビジネスを、です。
やはりネットビジネスは
ほとんど資金が入りませんでした。
最小資金でできます。
もっと言うと1万円もかかりませんでした。
しかもインターネットさえ使えれば
誰でも出来ます。
ネットビジネスを始めたころは
と首をかしげていました。
おそいかかる不安と恐怖と戦いながら
毎日、勉強してはせっせと行動しました。
そんな、ある日の事・・・
えっ??
どうしたの???
行動を始めてから1ヶ月後に
数万円ほど口座に振り込まれました。
初めて雇われずに、
自分の力で稼いだというのを
実感した時はまるで夢のなかにいるようでした。
さらに翌月には10万円ちょっとが
振り込まれ、
さらに数ヶ月後には25万円以上が
振り込まれました。
さらにさらに、
数ヶ月後に僕は
1ヶ月205万円ほど売り上げていました。
ほんの少し前までは
という具合に本気の素人だった僕がです。
ほんの数ヶ月で、、、
1年なんか間違いなく経ってないです。
それなのに、
僕より10年以上長く働いている
役職のついた上司より
稼いでいます。
今では、
ネットビジネスをやらないほうが
損をしているとしか思えなくなりました。
知っているか知らないかの差は
本当にデカイと思います。
出会う人たちは夢を持っている人たちばかりになった
ネットビジネスで起業した後には
出会う人たちも変わりました。
独立している人が多いんです。
大体の人が会社に
雇われることに疑問
を持っている人たちです。
なんで一度きりの人生なのに、
ムカつく上司の下で
こき使われなきゃいけないの??
と本気で思ってる人たちばっかりです。
僕は今でも起業という道に
進んでよかったと思っています。
そして僕と同じように
なんでこんな奴に
こきつかわれなきゃいけないんだ?
なんでもっと家族と
一緒にいれないんだ?
と心の底から
疑問に思っている人の
手助けをしてあげたいと思っています。
小さな一歩を踏み出す
右も左もわからない僕は
ネットサーフィンをしまくって、
お金を捨てるかもしれない
セミナーを受けてから
少しずつ少しずつ人生が
変化しました。
もしかしたら、
お金を損するかもしれない・・・
失敗するかもしれない。
でも、このままじゃ嫌だ・・・
そう思って
小さな一歩を踏み出しました。
ここまでお読みになったあなたは
もしかしたら、もっと楽な人生を生きたい!とか
もっと楽しく生きたいとか
思ってるんじゃないでしょうか。
もし、少しでも、人生をよくしていきたい
と思っているのなら
一緒に小さな一歩を踏み出してみませんか?
僕が副業月商205万円達成したキッカケになった
今なら11万円分無料のセミナーを解説しています。
ポチっ
【序章】僕が派遣社員の時の給料は〇〇万円でした・・・ ← 今ココ!
【1章】「2度も発砲」エアーガンで〇〇した破天荒なヤンチャ坊主
【2章】「たった一つ」の夢を失った中学生時代の発情がまん大会
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【6章】人生の分かれ目!クビ宣告されたダメ先輩を反面教師にした派遣社員時代
【7章】2度目の専門学校!「1つの出来事」が止まった歯車を動かした!
8章 作成中